2015年4月

育児と介護とちょびっとフラメンコ日記1

かくして、本格的な介護生活が始まりました。

息子が小学校入学、という時期とも重なり、どうなってしまうのかという不安もありましたが、スタートしてしまえば、走り出す毎日sweat01

悩んだり立ち止まっている暇なんざありません・・・

とにかく目の前のこと!!

一日一日が、無事に過ごせること!!

 

幸い息子は、学童、小学校ともにとっても楽しいらしく、「今日はサッカーゴールを決めたよ!!」「今日のぴんぴんマン(姿勢の良い子)になったよ!」

鼻穴を膨らませながら、嬉しそうに報告してくれるので、こちらまで嬉しくなります。

驚くほどたくましくなったね、君のおかげで毎日が明るい、ありがとうconfident

 

私の生活。5時起床、まず部屋の窓を全開にして、クンダーリニヨガの火の呼吸などを行います。

気の充電後、母のオムツ替え、水分補給、アロマ炊き、などを行います。

そして、母用の誤嚥予防のきざみとろみ食と、私の家族用の朝食準備。

母の食事は、父が魚焼きとみそ汁を担当してくれているので助かります。

6:30に子供を起こし、学校に行く準備をさせます。

かなり自発的に支度もできるようになってきたぞ、その調子!!忘れ物はないかな~?!

7:30に送り出し。

近所のお姉ちゃん、同学年のK君とじゃれ合いながら登校!!何度見てもいい景色note

子供の背中を見送った後、母の食事介助。

飲み込む力が弱くなっているので、時間もかかりますが、ここはこちらものんびり付き合います。

食後、歯磨き、体の清浄、着替え、体調によっては、関節が固まるのを防ぐ、簡単なストレッチをベッド上で行わせます。

それらが終わると10時近く。

11時まで休憩。。。

オムツ、体位変え、水分補給などさせ、昼食作り。

食事介助など終わるのが1:30ころ。

隙間で、洗濯、片付け、掃除・・・まで行きたいけどなかなか回らない・・・

怒涛です。

改めて、専業主婦の方々は、大変な労働力だと思います。

感謝されたり、表彰されたりすることもそれほどないでしょうに、ただただ、家族のために粉骨砕身、滅私奉公・・・

偉いなあ。私の場合、なんぼか外に出て働いている方がましですsweat01

母の愛は偉大です、はい、改めまして。

及ばずながらお返しです。

2時過ぎ、自分の昼食を済ませ、しばし昼寝。。

訪問看護士、訪問医がこの時間帯に来る日もあるので、毎回は寝られませんが、寸隙を狙いますwink

学童に行かせている子供がだいたい4時過ぎに下校してくるので、途中まで迎えに行きます。

片道30分の道のりを、がんばって通っている息子。

道すがら尺取虫を見つけたり、タンポポの綿毛を飛ばしたりしながら、牧歌的にそぞろ歩き。

これが、いい気分転換になっています。

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春たけなわ!!

百花繚乱の上水道は、本当に癒されます。

 

 

 

 

 

 

夕飯の支度までやり、食事介助は父にお願いして、私は寝かしつけの時間まで子供に集中させてもらってますconfident

小学生になったとはいえ、まだまだ甘えたい盛り、子供そっちのけで母の介助をしていると、やはりあかちゃん帰りが激しくなってしまい、

これでは子供にとって良くない!と思い、ばあちゃんはご病気だからお母さんはお手伝いしてあげてるんだよ、構ってあげられなくてごめんね、と言い聞かせながらも、

なるべく子供がいる時間は、子供のことを優先するようにしました。

甘える子供をおんぶしながら母のオムツを替える時もあります。

が、そんなことが重なってゆくうち、子供がお手伝いをしてくれるようになり、その優しさにまた癒されてsweat02

明日への活力になりますup

そして12時。最後のオムツ替えをして、ベッドを床替えモードにして(最新の介護用品には、素晴らしい機能がついています!)就寝。と言うか寝落ち。

こんなサイクルなので、なかなかフラメンコが入り込む隙間がございません・・・

やむなし・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました、そして!

先日のエスぺランサにお越しいただきました皆様、ありがとうございました!

ライブのちょうど1週間前に母が退院して来まして、バタバタしている中、靴を履いて練習する時間などとてもとれず、

かなりの博打フラメンコでしたがsweat01共演の皆様、応援にきてくださった皆様のお蔭で無事に終えることができ、ホッとしております。

ありがとうございましたclub

が、踊り手たるもの、いついかなる時でも踊れる体は作っておかなければと、激しく自省いたしました。

やれることをがんばります。

 

さて、少しうざい話です。

私自身の備忘録として、また自己満足で書いてゆきますので、めんどくさい方は、どうぞスルーしてくださいませconfident

 

私の母は、一昨年の12月に子宮頸がんの手術をしました。

リンパまで転移していましたが、見える範囲のガンは取りきった、と主治医の先生から説明を受けました。

が、見えないレベルでの転移を予防するためにも、抗がん剤治療が必要だと言われました。

一般病院でのガン治療は、抗がん剤か、放射線に限られています。

その2つのうち、放射線よりは有効、という理由で、抗がん剤治療が開始されました。

母は約半年間、頭痛、吐き気、全身の倦怠感、脱毛といった副作用に悩まされながらも、前向きにがんばりました。

治療後の検査の結果、転移はどこにも認められず、母や家族は久しぶりにとても晴れやかな気持ちになりました。

母はガンを克服したに違いない!と。

その後も、再発しないようにと、食事療法など、できる限りのことをして健康維持に気を配っていました。

が、昨年の5月、ろれつが回らないなどの症状が出たため、検査してもらったところ、脳に腫瘍ができていることがわかりました。

1週間経たない間に左半身に麻痺が来て、即刻手術となりました。

病理検査の結果、子宮頸がんと同じガン細胞で、リンパを通って脳まで達したとのこと。

大きな腫瘍は取り除いたが、浸潤しているのと、リンパへの転移もあることなどをふまえると、余命1年ほどであろう、と宣告されました。

あんなに苦しんでがんばってきたのに、抗がん剤治療で抑えられなかったのか。

大好きなゴルフに通えるまで復活したのに。

見た目にはむしろ健康そのものだったのに。

無力感は半端ありませんでした。

母には余命のことは知らせませんでした。

元々子供が小学校入学の際に同居を考えていたのですが、余命宣告を受け、時期を早めて同居することにしました。

術後の母は、持ち前の生命力の強さで、医者に奇跡的!と言われるほどの回復ぶりを見せました。

放射線治療も大きな副作用も出ず、動かなかった手足が動くようになり、歩けもするし、言葉も戻りました。

母の努力、強さには、こちらが励まされる思いでした。

余命宣告なんて、気にせず過ごしてゆけばいいんだ。

が、同居生活も落ち着いてきた12月、母が腰の痛みを訴え、歩きにくそうにしていたため、検査をしたところ、今度は脊椎間への転移がみつかりました。

やはり同じガン細胞で、今度は脳から脊椎へ降りてきたのです。

そして、その脊椎間にできたのガンのために、髄液がまわらなくなり、脳が水頭症を起こしていると。

それにより、痴呆に似た症状、麻痺の悪化、突然の呼吸困難などが起こり得るとのことでした。

ガンの猛威にゾッとしました。

また、ずっとがんばって闘病してきた母のこれからが、あまりに過酷で、ツラくなりました。

それでも、まだ私は娘、という立場だから冷静でいられたのかもしれません。

長いこと連れ添ったパートナーの芳しくない病状を聞いた父は、父の方が先に参ってしまうのではないか、という落胆ぶりでした。

父は元気だった母のイメージから抜け切れず、病状が進んでいることを受け止めることができず、病院に対して、医者に対して、私たちに対して、

頑なに心を閉ざしてしまい、お母さんは必ず元気になるんだから、俺が毎日公園に連れていってトレーニングさせるから大丈夫だ!!と

母を無理やり外に連れ出そうとしました。そうでもしていなければやりきれなかったのでしょう。

母への接し方について、いつも父とは衝突ばかりしていました。

治ると信じて無理やりにでも歩かせようとする父・・・

これから悪化してゆくことを見据えて、看護体制を整えようとする娘・・

母の痴呆が進行してくれていて、むしろ良かったです。

何もかもはっきりわかっていたら、本人が一番苦しかったでしょうから。。

そんな中、母は痙攣を起こし、救急搬送されました。

母が、いろんな意味で、現状へギブアップした兆しなのだと思いました。

 

母の痙攣は、幸い薬で収まりましたが、倒れる前より、手足の麻痺、せん妄、嚥下困難が悪化しました。

これまで自力で出来ていたことが、ほとんど出来なくなってしまいました。

母が入院の間、病院のガン相談窓口のSさん、主治医、看護師さんたち含め、話合いの場がもたれました。

一般病院は、病を治すところ、つまり医療行為を行うところであり、それができない患者は、緩和治療専門の病院(いわゆるホスピス)か、在宅医療のどちらかを選択しなければなりません。

母は、病院で行うどの治療も効果なし、とみなされた患者であったため、そして病院に居たくないという母の希望も受け、1月から在宅医による訪問看護を開始していました。

話合いの場では、家族に、在宅で最期まで看取る意志があるのか、ないのか、ないのであれば、緩和治療の病院を探さなければならない、と詰め寄られました。

また、もし在宅で看取るならば、母が苦しむ姿も見なければならない、それも覚悟がいることだ、と。

私は、元々母を家で看取るつもりで同居を決め、私の家族にも理解してもらっていたのですが、父はやはりそこまで詰めて考えたくないようで、保留にしてくれ、と言いました。

受け入れがたい気持ちは理解できるものの、現に進行している病状に対して、対処してゆかねばならぬのです。

じいさん、しっかりしてくれ、腹立たしくも思いました。一方で、父の深い悲しみにふれたようで、痛みを覚えました。

とりあえず、本人の意思が第一でもあるし、家に連れて帰ろう、ということに決まりました。

退院前、私は看護師さんについて、一日の流れを見させてもらい、着替えやおむつの取り替え方、歯磨きのさせ方など研修させてもらいました。

そうして、桜まつりも終わった4/10、母が家に戻ってきましたconfident

 

続く・・・

 

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近所の上水道は野趣であり雅です・・・

まるで深山の趣・・・

本当に東京か?!

 

 

 

 

 

 

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