2015年7月

母は。

母は、いわゆる勘の鋭い人だった。

私が何か問題にぶちあたって悩んでいたりすると、決まってタイミングよく電話をかけてきたり、ふいに会いに現れたり。

離れていても、愛されてるんだな、守られてるんだな、と思うことがよくあった。

「もう、私の介護で大変な思いしなくてもいいんだよ、私も闘い抜いたから休みたいよ。お父さんをよろしくね」

都合の良い解釈だけど、私にそんなメッセージを残して亡くなっていったような気がしてならない。

自分のことはいつも後回し、夫のため、子供のため、ばあちゃんのため、、、いつも人のために動き回っていた母だったから。

それを考えると余計にかなしいけどね。

 

そんな、人のために尽くしてきた母が病気になってしまったのは、母の命懸けの叫びだった気がする。

私もう尽くすの疲れたよ、尽くされたいよ、みんな私のこと構ってよ、って。

同居し始めたころは、お前に世話かけたくない、子供の世話になるの嫌だ、なんて言ってたけど、私にオムツ替えしてもらってる時の母は、なんだか幸せそうだった。

私がご飯食べさせてたら、「楽でいいなあ~」なんて言ってた。

食事後、リップクリームを塗ってあげると、すっきりと満足そうな顔をしていた。

私が何か作業をしていると、私のことをずーっと目で追っていた。

とっても澄んだ、きれいな目で。

その目は、赤子みたいと思ったこともあるし、ハリーの最期の日の目みたいだ、とも思っていた。

 

退院したばかりの頃は、痴呆のような症状がでていたけれど、家に戻ってしばらくしてからは、それもおさまっていた。

私が「お母さん、今日もきれいだね~」と言うと、

「うそよ、うそ!」と照れたり。

すっかり可愛いおばあちゃんだった。

だから、母の介護は子育てより全然楽だ、といつも思っていた。

子供は・・・いうこと聞かないし、暴れるし、すねるし、もう大変・・・

だけど・・・

私がこうして減らず口をたたけるのも、母が辛抱して子育てしてくれたおかげ。

いずれのことも、すべて輪になって繋がってゆく。

 

私が母につきっきりになっていると、当然子供がすねて感情的になる。

「僕とああちゃん(ばあちゃんのこと)と、どっちが好き?」

とよく聞かれた。

子供にも苦労かけたけど、「僕がああちゃんに食べさすよ!」

と言って、台の上に乗り、アイスやプリンを母に食べさせていた姿は泣けたよ。

幼いお前にそんな気を遣わせて済まん。。。

母は私を見て苦笑しながら、「ありがとね」と言ってたっけ。

 

父はどうしてもスパルタで、男ならではの強引さで、それでも一生懸命介護していた。

ご飯をたべさせてもらったあと、母は「拷問だよ・・・」

とこぼしていたり、「優しさがないんだよ・・・」

と愚痴っていたりしてた。

けど、やはり父のこともずーっと目で追っていた。

お父さんにたっぷり構ってもらって、愛情かけてもらいたかったんだよね!!

 

だから・・・

私の突っ走った思いのみで始まった親との同居、介護生活。

大変なこともたくさんあったけれど、いつもの雑多な、騒々しい住空間で、母を見送れたことは良かったことなのかな、と思えてくる。

きっとそうだよね?!

 

そして。

病人と頑固な父との同居を快諾してくれ、私のイライラをすべて受け止めてくれていた夫に、ありがとう。

 

そして。

みなさまの暖かい励ましがなければ、ここまで来られませんでした。

心より御礼申し上げます。

ありがとうございました。

不肖西川を、今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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