2016年6月

母の一周忌

あじさいの、ブルーから紫への微妙なグラデーションが、曇天にも鮮やかに少し悲しげに映えます。

うつろう色合いが、はかなくて、でも本当に美しいなと思います。

 

まだもう少し先なのですが、母の一周忌法要を昨日済ませてきました。

親戚一同集まってくれ、アメリカ在住の叔父ともスカイプでつながり、賑やか好きの母も喜んだのではないでしょうか。

 

私がお寺で受付を済ませている間、じいちゃんと息子は先にお墓に詣で、軍手して汗をかきかき、掃除をしていてくれました。

私が後から行くと、いつもの位置となんか微妙にズレてる感じ・・・

墓標を見ると・・・・

「ちょっと~~!!!これ、よそのおうちのお墓じゃんよ!!???」

なんと二人は、一生懸命ほかのおうちのお墓を磨いていたのでした・・・

「じゃあうちの墓どこだ?!」

とか呑気なこと言ってるじいちゃん・・・

「だってお墓の字、まだ習ってない漢字だよ」

と息子・・・

不謹慎ですが、あまりのすっとこどっこいぶりに、お墓の真ん中で腹抱えて大笑いしてしまいました。

母もあきれながらも笑っていたことでしょう。

はい、ちゃんとお墓は見つかりまして、無事お掃除もできましてございます。

 

お坊さんの読経は、脳波にいいですね、おそらく。

私は、もっと、ずっと聞いていたいなあ、と思いました。

主人も相当に気持ち良かったらしく、私の柔らかいsign02肘鉄や足踏み攻撃をかわし、静かに船を漕いでいました・・・

 

珍事もありましたが、無事に済んで何よりでした。

お疲れ様でした、ありがとうございました。

 

この一年、日常に追いまくられて、立ち止まって考える、という時間をなかなかとることができませんでした。

やはり、故人を偲びながら、家族のこと、生きること、死ぬことなどを、立ち止まって考える時間は必要だと感じました。

 

緑陰から清流を、あきることなく眺めながら、なあんにもしないでボウ~っと呆けてるような・・実際には行かなくても、それに近いような感覚を持つ時間を作ろうと思いました。

そしてまた、日常のなかのひとつひとつに、もっと気持ちを入れよう、と思いました。

きっと、そのひとつひとつの所作から、外側へむけてのパワーが湧いてくるような、そんな気がしたもので。

 

生きてるうちが花ならば、枯れるまで咲かせましょ、私は何かな、ドクダミとか・・・shine

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1
ページ上部へ