千鶴の独り言

スペイン子連れ旅 その2

翌日はあいにくの小雨模様rain

やっぱり雨女継続中か・・・とがっかりするも、チョコラーテとチュロスの旨さにマノロも私も復活rock

 

今日はサクロモンテとアルバイシンを散策。

ここらへん一帯には、並々ならぬ思い出や思い入れがある。

17年前(もうそんな昔のことになってしまた・・・)、1年間のグラナダ留学の時に住んでたのがアルバイシン。

マリキージャのクラスの他に、ピソからほど近い、やはりアルバイシンのマイカのクラスと、サクロモンテ寄りのペーニャ・プラテリアで教えていた故プレッシーのクラスに通っていた。

どうしても山側の引力が強くて、後半は山のクラスばかり通い詰めていた。

だらだら続く迷路のような石畳。ここを何往復したんだろ。

練習用に借りていたスタジオもアルバイシンだった。

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マノロと歩くのがとても不思議な気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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サン・ニコラスから望むアルハンブラ宮殿。

その昔、用もないのに、よくここに来ては、ぼーっと景色を眺めていた。

 

 

 

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カルメン・デ・ラス・クエバスの中。

ここでは17年前、マリ・パスや髙橋英子さんのクルシージョを受け、9年前来た時にはビオレッタという若手の先生のクラスを受けた。

受付のお姉さんが私の顔を覚えていて、名簿を検索してくれちゃって、身元判明・・・sweat01

 

 

 

グラナダを歩いていると、いつも思うことだけど、ズーンと腹に来る独特の磁力があって、いつも引っ張られる。

悩ましげな倦怠感とうら寂しさと、この日は曇天だったからなおのこと空気が重い。

留学中はよく、グラナダにいるとダメになるから、はやくセビージャとかへレスとかに行った方がいいよ、と言われた。

すごくわかる。

がんばっても仕方がないという諦めきったところで、みんなまどろんでるような、大航海時代からあんまり時間が動いていないんじゃないか、でも祖先から受け継いだものがあるからいいじゃん、みたいなどうでもいいところがあって。

晴れたら晴れたで、カラッと、虚しいくらいに青くて、それが地の果てまで続いていて、乾いていて。

ロルカの詩がぴったりくる街だ。

離れられない魅力があって、1年居続けちゃったな。

 

夜は、サクロモンテの行ったことがなかったタブラオへ。

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マノロくんは、「男の踊り手が見たい!」と言っていたのですが、

男性舞踊手が出てきたときにちょうどトイレにたってしまい・・・

戻ってきたと思ったら、私の膝の上で終演まで爆睡sleepy

ほとんどショーをみていませんdespair

昼間がんばって歩いたもんね、やむなし!

 

 

 

またバル巡りできずに就寝・・・やむなし!

 

その3に続く。

 

 

 

 

 

スペイン子連れ旅 その1

昨夜、無事帰国いたしましたconfident

私にとっては約9年ぶり、息子にとっては初めての海外・・・

も少し子供が大きくなってから、、とスペイン行を遠く考えていましたが、はっちゃんの「航空券今安いよ!アナも会いたがってるし、マノロ(子供につけられたあだ名)

も連れて、一緒に行こうよ!!」の言葉に勇気をもらい、いざ出発upwardright

 

が、やっぱり遠かった、地の果てスペイン。。。

カタール航空でドーハまで12h、トランジット2h、ドーハからマドリーまで6.5h・・・

そして、マドリーから目指すグラナダまでは、バスで5h・・・

耐えられるのか、マノロ・・・

 

ドーハまでは元気だったマノロ。

元気の根源はおもちゃコーナー(私は魔界と呼んでますsweat01)。

国力を反映してか、充実ぶりがハンパなく、マノロは目をギラギラさせて見入ってましたsweat01

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豊かさの象徴?!なぞの巨大電球クマ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はしゃいでいたマノロも、ドーハからはさすがに完全寝落ちsleepy

マドリー着いても夢の中。

無理やり起こしたけれど、ご機嫌斜め。そりゃそうだ、大人だってきつい旅、ましてはだ。

おんぶされて涙を流しながら入国審査crying

しかし子連れに優しい国スペイン、難なく無事スルー、良くがんばったねマノロdiamondさあ着いたぜ、マドリーup

 

バラハス国際空港が進化していてたまげました。

空港内の移動が地下鉄だなんて!

そりゃ、9年も来てなきゃ変わるよな・・・

 

さあ、こっからバスで5Hだ、まずは腹ごしらえ。

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バスの中でも充電爆睡。21:30ころようやく到着!!

来たよ、グラナダ~~~~crying

 

バルに繰り出す気まんまんでしたが、疲労に勝てず、そのままホテルでバタンキューsleepy

 

翌朝5時に2人してパッチリ目を覚ます。

テレビをつけるとなんとドラえもんにクレヨンしんちゃん・・・

日本と変わりないやんけ!!

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その2に続く・・・

ジャズとフラメンコのコラボライブ

先日の、ジャズとのコラボライブにお越しいただきました皆様、ありがとうございました。

 

2回目となるライブ、出演のみなさまの熱演により、盛況のうちに終わりまして、感謝していますconfident

ありがとうございました。

 

私は、他ジャンルの踊りを知っているわけではなく、また、フラメンコにしても発展途上です。

が、踊りで音を表現するとなった時、ツールとしてはどうしてもフラメンコになってしまいます。

ジャズとのコラボ企画、ということで、楽曲はジャズ、踊り方はフラメンコ、で、一体どうなってしまうのか???

というのが一番の不安要素でした。

Take 5や、Too down hotといった、ジャズのスタンダードナンバーに、フラメンコ的な所作を絡めていけるのか???

そんなところから始まりました。

曲を聞いて、曲から受ける全体の印象をイメージして、音をなるべく細かく拾って、音に合う所作を繋いで、繋いで・・・

それは、苦しい作業でしたが、発見もたくさんあり、自分の足りないところも突きつけられ・・・

とっても勉強になりました。

 

こんな機会をいただき、Hisakoさんには本当に感謝しております。

踊りと絡めるのは大変だったかと思うのですが、嫌な顔一つせず、長時間お付き合いいただきましたミュージシャンのみなさま、

厚く御礼申し上げます。

 

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ギターデュオかりんとうさん、ボーカルHisakoさん、香織さん、Pacoさん、パーカッション小山田さん

 

もうじき春だし、しっかり始動してゆきます!

ありがとうございました。

先日、教室発表会が無事に終わりました。

お疲れ様でした、ありがとうございましたconfident

 

去年は、母の介護で一旦は教室を捨てた身でした。

そんな中、地道に練習を続け、私が戻ってくるまで教室を存続してくださり、なおかつ私を励まして元気を注入し続けてくれた生徒さん方・・・

感謝の念に堪えません。

そんな皆さんに、何の恩返しができるかな、と考えた時に、発表会をやろう、という意思が固まりました。

が、実際、練習時間も費用もばかになりません、みなさんには逆に負担を負わせてしまいました。

そして、練習も発表会も出たいのに、それが叶わない生徒さんたちもいました。

たくさんの思いを乗せて、例のごとく、私の突っ走った思いのみで見切り発車した発表会。

みなさんのがんばりにより、踊りの完成度が増して行く中、本当にこんな時期に発表会なんて企画して良かったのかなと、

後悔もしました。

若い時は、発表会なんて出て当たり前、やれて当たり前という感じでした。

だけど、無事に当日を迎え、しかもみんなが全力を出し切って、スカッと終わるなんてことの方が、実は奇跡に近いことなんだな、と、怖くて怖くて仕方ありませんでした。

なんですが。。。

 

やっぱりあの時が、今でしょ、の時なんだったと、今は思います。

 

ビデオ撮影で長年お世話になったスーザンパパ、ニコニコしながら、どこかでカメラを回してくれていた気がしてます。

私の一番のファンで、スペインに行く時も、教室開くときも、いつも後押ししてくれていたお母さん、観に来てくれていた、いや、一緒になって踊ってくれていた気がしてます。

ギターの鈴木淳弘さん、歌の大橋範子さん、大渕博光さん、ものすごいパワーを後ろから送っていただきまして、みんな持ちこたえられました、本当にありがとうございました!

お手伝い、完璧な仕切り、とてもスムーズに進行しました、強力バックアップ、ありがとうございました!

お忙しい中ご来場してくださったみなさま、みなさまの暖かい思いが私たちの支えです、ありがとうございました!

そして、並々ならぬ熱意と気迫で発表会に立ち向かっていった生徒さん達、本番が一番良かったです、本当によくがんばってくれました、お疲れ様でした!

 

きっと、フラメンコが人生を飲み込んでいってくれるから、肩の力を抜いて、思うように漂っていきたいな、と妄念してしまうのは、欲張りでしょうか・・・

いろんな事象が手繰り寄せられるように繋がっている、だから、やっぱり私は、繋ぐこと、紡ぐことががしたいんだと思います。

 

冬の清冽な寒さの中、新たに出発した西川丸、浮世荒波くぐりぬけ辿り着くのは・・・やっぱり常夏のワイハが良いなあ~confident→基本軟弱者・・・

 

 

 

 

 

夢のコラボ

気付かないふりをしていましたが、そうも言ってはいられない、早師走・・・ 

みなさん多忙を極める中、地獄のレッスンsign02に耐え、自主練に励み、本当に頭が下がる思いです。

みなさんの頑張りから、勇気をいただいてます、ありがとうございます。

このまま、年明けの発表会まで猛進していきたいと思いますconfident

 

発表会の会場が、子供の小学校の体育館で。

スペシャルゲストが、ダウンタウンflair

はまちゃんが、キレッキレのダンスを披露してくれて、まっちゃんが「おれあんなん、できひんわ~」と目玉をひんむきeye

2部の冒頭は、ドリフの長屋コントで、懐かしの長さんが「おい~っす!」と手をあげながら登場shine

すごいコラボ!!

フラメンコの入り込める余地はどこにあるんだろう??と疑問に思いながら、

それでも感動して、舞台袖から見てる私。

 

これ、昨夜見た夢です~

ある意味、自分、追い詰められてるんだな、と思いましたsweat01

 

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真冬に咲くさざんかのように、いつでも凛とありたいものです・・・

 

 

お月見のつどい

土曜日に行われました、小金井市主宰お月見のつどいにお越しいただいた皆様、ありがとうございましたfullmoon

出演のみなさま、お疲れ様でした!

 

平成19年の桜まつりから出演させていただき、お月見にもお声かけいただくようになり、今年は8年目、ありがたいことです。

そして、天候に左右されやすい屋外イベントであるにもかかわらず、雨女の私が、一度も降られたことがないという、奇跡的なイベント、みなさんの行いの良さのお蔭です~confident

 

今回も前日まで雨で、開催があやぶまれましたが、お月様も顔をだしてくれました。

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いろんな応援を受けて踊ります。。。

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こんな応援団も・・・(Kよこさん作・芸が細かい!!)

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枠の時間を超過してしまい、巻が入ってしまいましたがsweat01、なんとか無事に終えることができました。

ありがとうございましたconfident

 

今年の月も、良い月でしたfullmoon

 

 

必衰

先月、友人のお父様が亡くなった。

長らくうちの教室の発表会のビデオ撮影、編集、焼き増しまでやってくれていた、とても素敵なパパさんだ。

友人宅で飲む時は、パパさんとお話することも楽しみの一つだった。

品が良くて、話題も豊富で多岐にわたり、その穏やかな人柄を思うと胸が詰まる。

亡くなる10日ほど前、病室に訪ねていった時も、しっかりしてらして、病床にあっても相も変わらず品が良く、がんばってくれるかな、と思っていた矢先の訃報だった。

柔らかい雨の野辺送り。

どうして人は死ぬのかな。

うちの母もそちらに行ってます、会ったら、よろしくお伝えください。

パパさん作のビデオ、DVDは私の宝物です。

またあの世で一献傾けましょうね。

ありがとう、パパさん、ありがとう。

 

そして、先週末は、とうとうレオが逝ってしまった。

17年間ずっと側にいてくれた。

優しい丸い緑の目でじいっと見つめるレオ。

一緒に寝っ転がったり、足にすりすり甘えてきたり、細く可愛い鳴き声でエサを催促したり・・・

子供や母のことで、なかなか構ってあげられなかったから、、、ごめんねレオ。

慈恵院で、荼毘にふしました。

ハリーの横にお骨を置いてもらいました。

なんで逝っちゃうんだろうね、レオ。

レオは幸せだった?

お母ちゃんは、あなたに一杯愛と優しさをもらい続けていたのに、それを返しきる前に逝かれちゃった気分なんだよ。

無垢の愛は、動物族がもっている美しさ。

ありがとう、レオ、本当にありがとう。

ハリーが待ってたね。

虹のたもとで待ってってね。

それまで母ちゃんがんばるから。

 

万物は流転するし、生まれてくれば必ず死ぬ。

わかっちゃいるけど、悲しいもんは悲しい。

心に刻み込んで生きる。それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母は。

母は、いわゆる勘の鋭い人だった。

私が何か問題にぶちあたって悩んでいたりすると、決まってタイミングよく電話をかけてきたり、ふいに会いに現れたり。

離れていても、愛されてるんだな、守られてるんだな、と思うことがよくあった。

「もう、私の介護で大変な思いしなくてもいいんだよ、私も闘い抜いたから休みたいよ。お父さんをよろしくね」

都合の良い解釈だけど、私にそんなメッセージを残して亡くなっていったような気がしてならない。

自分のことはいつも後回し、夫のため、子供のため、ばあちゃんのため、、、いつも人のために動き回っていた母だったから。

それを考えると余計にかなしいけどね。

 

そんな、人のために尽くしてきた母が病気になってしまったのは、母の命懸けの叫びだった気がする。

私もう尽くすの疲れたよ、尽くされたいよ、みんな私のこと構ってよ、って。

同居し始めたころは、お前に世話かけたくない、子供の世話になるの嫌だ、なんて言ってたけど、私にオムツ替えしてもらってる時の母は、なんだか幸せそうだった。

私がご飯食べさせてたら、「楽でいいなあ~」なんて言ってた。

食事後、リップクリームを塗ってあげると、すっきりと満足そうな顔をしていた。

私が何か作業をしていると、私のことをずーっと目で追っていた。

とっても澄んだ、きれいな目で。

その目は、赤子みたいと思ったこともあるし、ハリーの最期の日の目みたいだ、とも思っていた。

 

退院したばかりの頃は、痴呆のような症状がでていたけれど、家に戻ってしばらくしてからは、それもおさまっていた。

私が「お母さん、今日もきれいだね~」と言うと、

「うそよ、うそ!」と照れたり。

すっかり可愛いおばあちゃんだった。

だから、母の介護は子育てより全然楽だ、といつも思っていた。

子供は・・・いうこと聞かないし、暴れるし、すねるし、もう大変・・・

だけど・・・

私がこうして減らず口をたたけるのも、母が辛抱して子育てしてくれたおかげ。

いずれのことも、すべて輪になって繋がってゆく。

 

私が母につきっきりになっていると、当然子供がすねて感情的になる。

「僕とああちゃん(ばあちゃんのこと)と、どっちが好き?」

とよく聞かれた。

子供にも苦労かけたけど、「僕がああちゃんに食べさすよ!」

と言って、台の上に乗り、アイスやプリンを母に食べさせていた姿は泣けたよ。

幼いお前にそんな気を遣わせて済まん。。。

母は私を見て苦笑しながら、「ありがとね」と言ってたっけ。

 

父はどうしてもスパルタで、男ならではの強引さで、それでも一生懸命介護していた。

ご飯をたべさせてもらったあと、母は「拷問だよ・・・」

とこぼしていたり、「優しさがないんだよ・・・」

と愚痴っていたりしてた。

けど、やはり父のこともずーっと目で追っていた。

お父さんにたっぷり構ってもらって、愛情かけてもらいたかったんだよね!!

 

だから・・・

私の突っ走った思いのみで始まった親との同居、介護生活。

大変なこともたくさんあったけれど、いつもの雑多な、騒々しい住空間で、母を見送れたことは良かったことなのかな、と思えてくる。

きっとそうだよね?!

 

そして。

病人と頑固な父との同居を快諾してくれ、私のイライラをすべて受け止めてくれていた夫に、ありがとう。

 

そして。

みなさまの暖かい励ましがなければ、ここまで来られませんでした。

心より御礼申し上げます。

ありがとうございました。

不肖西川を、今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入寂後

身をえぐられるような激しい後悔。

タンの吸引なんかしたからお母さんは逝ってしまった、

私がなんとかできると、傲慢に思っていたから逝ってしまった、

介護に疲れて、いつまでこの状況が続くんだと、毒づいたから逝ってしまった、、、

私のせいで逝ってしまった・・・逝ってしまった

苦い涙しか出てこない。

 

それからどう過ごしてたんだかあんまりよく覚えていない。

葬儀屋さんを決めたりだ、なんだとやらなきゃいけないことを淡々とこなしてはいたけど、心が浮遊しているようだ。

友達にもすぐにメールできなかった。

重い腰上げて、ようやく連絡入れ始めたら、察したんだろか、重ちゃんからメールがきたので、

臨終の時の様子を初めて伝えた。

「おめえの呪いぐらいで親は死なねえよ、親をなめんな!」

ってメールがきた。

それでちょっと目が覚めた。

つらいはつらいけどね。

 

入寂

6/24の午後10時に、母が息を引き取りました。

日曜に荼毘に付しました。

生前お世話になった皆様に厚く御礼申し上げます。

また、たくさんの手向けのお言葉、お花など賜りまして、親族一同感謝しております。

ありがとうございました。

 

24日は、前日夜から呼吸が苦しそうだったので、少量のゼリー、アイスのかけらなどだけ摂取。

が、その後は余計に苦しくなってしまったので、口からのタンの吸引をしてみる。

吸引直後は改善するのだけど、タンはきりなく絡んでくる。

在宅医に約束の時間より早めに来てもらう。

看護士の吸引後、少しまた良くなる。

医者曰く「診立てでは、今呼吸落ち着いているので、様子を見ながら経口摂取をし、絡んだらタンの吸引という形で、あと1カ月くらいは大丈夫でしょう」「娘さん、鼻からの吸引も覚えてください」 

ほんとか??おい!?

私には、とても1カ月も持つように見えないけど。

別の訪看さんから、吸引はプロの看護士がやっても難しいものだから、口内の見えている部分のみの吸引しかしなくてよいですよ、お母さんも苦しいし、と言われていたので、今まで鼻からの吸引は手を出さなかった。

が、緊急の場合もあろうかと、その場で教えてもらった。

吸引覚えれば大丈夫なんですよ、みたいな軽いノリで在宅医は帰っていった。

そうなんか??

私は激しく疲れてしまった。

信頼している訪看さんは、葬儀の準備もしておいてくださいと言う。

在宅医はあと1カ月生きるという。

今亡くなっても、あと1カ月闘病が続いて亡くなっても、わたしゃズタボロだ・・・

お母さん、私疲れちゃったよ、、、どうすりゃいい??

2hほど2Fに引きこもった。

階下に降りてゆくと、母がまた苦しそうな呼吸をしている。

こんなに痩せちゃって、小さくなっちゃって。

自分のつまらない、せこい感情で、そばにいなかったことを悔いた。

体をマッサージしたり、蒸らしたタオルでさすったり、手をにぎったり、、、

こんなことしかできない。

 

子供が帰ってくる。

ごはんの支度、食べさせて風呂、寝かしつけ、、、

その間も気が気ではなかった。

ハリーが亡くなったのも水曜の夜だったから、嫌な予感がして仕方がない。

子供には可哀そうだったが、頼むから早く寝てくれ、という気持ちだった。

 

階下に降りてゆくと、母が下顎呼吸をしている。

父を起こし、在宅医に電話をする。「そうですか。といっても、なすすべがないから、見守っていてください。救急車はよばないでください」

どこまで保身しか考えない医者なんだ。

訪看さんにも電話をした。「娘さん、そろそろ覚悟してください。耳は最後まで聞こえています、そばにいて、声を掛けてあげてください。手を握ってあげてください。」

この訪看さんがいてくれて本当にありがたかった。

手足が冷たくなってきてしまった。

一生懸命さすっても、温かくならない。タンの音も聞こえる。

胸をさする。

お母さん、がんばれ!!

タンの吸引をすれば楽になるだろうか、と、今日ならったばかりの吸引をした。

お母さん、苦しいのとるよ。もっと生きてよ。

が、その後。

母の呼吸がゆっくりになってきてしまった。

父と私は必死で呼びかける。

お母さん、がんばって、お母さん!!!

ハリーの時みたい。

最後に一つ、ゆっくり息を吐いて、母は絶命した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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