どう生きる?その2

その後、母の容体は落ち着いたものの、嚥下が以前に増して困難になってきました。

経口で摂取してゆくと、肺炎のリスクが高くなる。

点滴のみにしてゆくと身体のむくみがひどくなる、また、食べるという人間としての喜びを奪われてしまう。

どちらを選んでゆけばいいのか。在宅医と家族で話し合いの場がもたれました。

まだ、母に意識があるので、母の気持ちを最優先にしてゆくことにしました。

「口からものを食べていきたい?点滴だけにしたい?もちろん、途中で変更できるよ」

母は、口から、の方にかすかにうなずきました。

食べられるものを、無理せず摂れるだけ摂らせてゆくことになりました。

 

なるべくのど越しの良い、フルーツをつぶしたもの、プリン、ゼリー、アイスなど。

病人は、冷たいものの方を好みます。

また、母がむせ始めたら、食べさせることをすぐに止めるようにしました。

それでも・・・

 

一週間経たない間に、またムセからの呼吸困難・・・

 

そしてまたレベルダウン・・・

 

家族としてのエゴが、母の体力を奪ってしまってはいないか。

食べて体力つけて回復してほしい、という思いが、かえって母を苦しめていないか。

 

どこかで線引きをしてゆかないと母も我々も疲れ果ててしまうだろう。。。

 

お母さんが欲しがった時だけにしたら?、と、看護師さんがアドバイスしてくれた。

そうだよね、そうだよね。

 

母は、昨日あたりからよく眠る。

電池が切れてしまったように良く眠る。

オムツ交換していても目を覚まさない。

今日は訪問入浴の日だったけれど、洗ってもらいながら寝落ちていた。

目を覚ました時にゼリーでも、と思ってあげるけれど、「もういい」と言う。

 

静かに静かにいろいろなことが引き潮みたいに逃げてゆく。

 

悩もうが苦しもうが、そんな思いとは無関係に、いろいろなことが去ってゆく。

 

父はここ3週間ほどで、いきなりガーデニングに目覚めた。

庭も部屋も、お花でいっぱい。

朝顔も、ゴーヤもそのツルをぐんぐん伸ばす。

 

もうじき七月。

 

 

 

どう生きる?

先日、昼食に美味しそうにソーメンを食べていた母が、途中むせ込み、タンが絡み呼吸困難となりました。

ガン末期は、体中の筋力が衰えてしまうので、自力でタンを切ることもできません。

タン吸引器があるのですが、看護師さんがやっているのを見ていても、自分でやったことはありません。

急ぎ在宅医に電話をして、看護師さんを呼びました。

来るまでの間、喉元に見えているタンをブラシで除いたり、背中や胸をさすって声を掛けていることしかできません。

母は苦しそうにゼコゼコと肩で息をし、手にはチアノーゼが出て来ました。

看護士さんが到着した時には、血中酸素濃度が60%(健常者は90~100%)まで落ち込み、危険な状態でした。

酸素吸入と点滴が開始されました。

看護士さんからは、あと数日の可能性もある、覚悟しておいてくださいと言われました。

また、良くなったとしても、今回のような生死にかかわる誤嚥の可能性が高いので、経口からの飲食が難しくなる。

その場合は点滴で補ってゆくしかない、と説明がありました。

この点滴ですが、様々に意見が分かれるところであります。

老衰も含め、人間は末期になると、枯れてゆこうとするので、飲み食いできなくなるのが自然であり、自然に逆らってまで体に水分を

送り続けることは、かえってタンの誘発、体中のむくみを引き起こし、本人を苦しませることになる、という考え方。

かたや、たとえ体がむくんで、本人の意識がもうろうとしている状態であっても、1日でも長く生きていてほしいから、点滴を続けていくという考え方。

どちらも正解なのでしょう。

母の場合、在宅医の先生方は延命の立場をとり、週2回来てくれている訪問看護士さんたちは、自然に楽に、という立場をとる方たちで、意見が割れていました。

が、決定権は本人及び家族にあります。

今回、緊急だったこともあり、当たり前のように点滴も開始されました。

が、結果、母の左右の手はパンパンに膨れ上がりました。

タンも相変わらず絡み、ゼコゼコした呼吸が続きました。

翌日、私は父と相談して、一旦点滴を止めました。

 

 

 

 

 

 

 

闘いと諦観と。

 

朝方は、爽やかな風薫る5月ですが、日中は真夏の暑さ・・・

日本の四季が崩れつつありますね・・・

美しい曖昧さが好きだったのに・・・

 

さて、母の容体も落ち着いていたので、5/12よりレッスンを間引いて再開しました。

みなさんが、お休みの間、熱意をもって自主練に取り組んでくださったことがよくわかり、とても感激しましたsweat02

すごいな、と心底感嘆しましたcrying

親は無くとも子は育つ?!、むしろ私がレッスンしている時より、すごい伸び率、これならまた休んでも大丈夫かなconfident

 

母ですが、食が細くなってきました。

刻み食から今はペースト食にしたのですが、タンがらみの咳を伴ったり、うまく飲みこめなかったりで、

小さなティースプーン一匙お腹に行きつくまでに、ものすごく苦労しています。

見ていて可哀そうになります。

私たちが当たり前にしている、呼吸をしたり、つばを飲み込んだりとかいうことが、当たり前のことではなかったのだ、ということに気付かされます。

母は、食べなければ元気にならない、と思い詰めているようで、ゲホゲホしながらがんばります。。

私は無理させず、食べられる分だけを運びます。。

食後の歯磨きの、ブクブク、ペッ、もできなくなってきました。

食べ残しが口の中にあると肺炎の原因になるそうなので、スポンジブラシで口内をお掃除した後、

歯磨きティッシュを人差し指に巻いて汚れをぬぐいます。

終わるとやはりさっぱりと気持ち良さそうです。

 

ガンがわかってから、ずっと闘ってきました。

病院での化学療法の他に、たまねぎ、きゃべつ、にんじん、かぼちゃを煮たスープを毎日600cc飲み続けたり、

ウコンの粉末を飲んだり、琵琶茶を飲んだり、黒にんにくを食べたり、、、いずれも1年以上続けたことです。

が、脊椎間への転移が見つかってからは、それらの努力が虚しく思えました。

もしかしたら、ガンの進行を緩やかにしてくれていたのかもしれませんが・・・

それでも、1月からの丸山ワクチン、ニンジンリンゴジュース、五井野プロシジャーhttp://cookpad.com/recipe/2924743

など続けています。 

あきらめた訳ではないのですが、母の様子をみてゆくに、現状維持がいい方で、静かに静かにいろいろなことが出来なくなってゆくのです。

それを見守ってゆくのは、気持ちの良いものではありません。

が、静かな諦観と覚悟が定まって来ます。

介護の時間が与えられたからこそ湧いてきた感情です。

 

母の一生を思います。

子供時代、娘時代、父と出会ったころ、私や弟を産み育てたころ、子が親もと離れてからの生活・・・

同居が20年以上ぶりであったので、ああ、この人こういうひとだったな、と改めて思うことも多く。

ケンカもたくさんしました。

が、娘に(もちろん父にも!)面倒をみてもらい、存外幸せに感じているのではないのかな~などと思ったりします。

手前味噌ですが。

 

お母さん、どうよ?!