今日はハリーの月命日だったので、慈恵院に行ってきました。
ここはいつ来ても心が穏やかになります。
1ヵ月、時間の観念が良く分からないまま過ぎていきました。日常をこなすことで精一杯だった気がします。
手塚治虫の「ブッダ」を読みました。
生き方のヒントになれば、と思い読んだのですが、それ以上でした。その日の夢に、穏やかな顔ですやすやと寝ているハリーが出てきました。恐らく私の意識の投影なのでしょう。
少しずつエンジンかけて行きます。

一呼吸一呼吸

禅の精神らしい。
この一呼吸、この一瞬をいかに生きるか。
永遠の謎に満ちていて、永遠のテーマである気がします。
7月も終わりです。
私は人知を越えた神秘を、この一ヶ月で沢山感じました。
この世の中は予感や神秘に満ちていて、私はたくさんの天使を見ました(決して狂ってません)
絶妙のタイミングで現れたり、メールをくれたり、贈り物がとどいたり。私はありがたくて泣きました。
霊的なものは時空を越えてつながるのだと思いました。
人間がもっと昔には当たり前のように持っていたであろう第六感の存在を強く感じました。
7月が過ぎてゆきます。
私はそれを心をこめて見送ります。
ありがとう。

運命

人は、実は自分で選択してることはとても少なく、向こうからやってきた運命の中で生きている場合が殆んどだ、というニュアンスの言葉を聞きました。
確かに、何の因果か、今の時代に生まれてきたのも私の運命でしょうし、今に至る様々な進路は私の意思で決めてきたようだけど、その時の環境や状況、受け入れる側、そこで知り合った人々によって、如何様にも変化した可能性があるな、と思いました。ここにいるべくしているのかな。又々ハリーねたで申し訳ないのですが、ハリーとも、小金井に住んでいなければ会えなかったし。
人との出会いも又然りで、日本に生まれて、そこで知り合った人も、何かしらのご縁があって、巡り会ったんだなあ、と思いまして。今更ながら一期一会とはいい言葉だし、重い言葉だと思いました。ハリーが亡くなってしまったことは、悲しく苦しいことで、まだ感謝する気持ちまで昇華できません。が、全犬、全人口を考えると、天文学的確率で我が家にやってきて、楽しい日々を送らせてくれたことは、奇跡に近くて、やはり感謝せずにはいられません。出会うべくして出会ったのかな。
そんな思いでこの世を見渡してみると、いろいろなことに寛容になれる気がします。
まぁ、私は聖人君子ではないので、このような気持ちは一過性で、又すぐ日常に飲み込まれてキリキリしてゆくのでしょう。
ですが、ハリーの死は、私の中の意識のスイッチを変えました。そういう激しい衝撃がないと感知出来ない鈍い自分が残念ですが。